ワノコト

和風暮らしで、つながるライフ

 
 
 
 

天草市?津の漁村景観


237

キーワードなし
2009/01/01 00:00
 
 

熊本県

天草市

自然・植物

 
 

天草下島の南西部、東シナ海に開口した溺れ谷形の羊(よう)角(かく)湾内に位置する?津は、標高100メートル前後の後背山に囲まれた狭隘な入江に形成される漁村集落である。

港内は比較的大型の船舶も入港できる水深を持つ一方、港奥部の今(いま)富(どみ)川河口では干潟が発達しており、江戸時代からの干拓によって農地が展開している。

?津集落は平地が少ないため家屋が密集して立地しており、後背山の斜面には共同墓地や畑地が形成されている。

山頂には海の祭神である金比羅宮が祭られるなど、海からの眺望を意識した信仰施設の配置が認められる。


?津は天然の良港であるという地形的特性を活かし、古くから流通・往来の拠点として機能してきた。

16世紀後半の日本を記録したルイス・フロイスの『日本史』において、外国船が当地へ入港したことについて言及されているほか、唐船の漂着等に関する記録も残る。

江戸時代になると、不審船や漂着船に対処するため、遠見番などの長崎奉行所管轄の地役人も置かれた。

また、特権的に漁業が認められた定(じよう)浦(うら)の一つとして賑わうとともに、近隣から集積する米や様々な物資を長崎に回送する貿易港として、重要な役割を果たした。

そのため、石積み護岸の構築など港湾整備も重点的に行われたとされる。

近代になると、長崎航路の開設や近隣における炭鉱の操業などにより人や物資の往来が増加し、木賃宿・料亭・映画館等が立地する、船客や鉱夫等で賑わう港町としての地位を確立した。


?津で古くから盛んであった漁業は、漁法の近代化や漁船の大型化により昭和40年代に最盛期を迎える。

特に羊角湾内で盛んであったチリメン漁は人手を多く要するため、?津浦東側の向江区や北の今富等から多数の乗り子が網元へ集まり、共同して漁が行われた。

平地が狭い?津において作業場を確保するため、海に張り出して設けられる「カケ」も、この頃に大型化したとされる。

こうした漁業をはじめとする生活・生業上の共同作業が、当該地域の紐帯として機能してきたと考えられ、隣接する家同士で軒を供出して形成される、「トウヤ」と呼ばれる集落から海へ繋がる小路が現在も多数維持されていることにも、当該地域の共同体が強固なものであることが確認される。


このように、「天草市?津の漁村景観」は、交易や石炭搬出など流通・往来の拠点として、また豊かな漁業資源が集積する漁港としての機能を有する集落が、「カケ」や「トウヤ」といった独特の生活・生業上の施設を伴いつつ成立することによって形成された、価値の高い文化的景観である。

しかしながら、近年は少子高齢化や漁業不振による後継者不足等により徐々に地域共同体も変容しつつある。

そのため、当該地域における生活・生業を維持し当該文化的景観を保存・活用するため、天草市は文化的景観保存調査を実施し文化的景観保存計画を策定した。

これらに基づき選定申出が行われた当該文化的景観について、重要文化的景観に選定しその保存・活用を図るものである。

 

この和のコトを評価

 

ソーシャルサイトで共有

 

この和のコトの関連フォト

フォトを追加する

この和のことのフォトはまだ投稿されていません。どなたでも投稿できます。
関連フォトを追加する

この和のコトのレビュー

レビューを追加する

この和のことのレビューはまだ投稿されていません。
レビューを追加する

コメント

 

コメントはまだありません